年末の大掃除は、一年間に蓄積した家の汚れだけでなく、自分たちが気づかずに見過ごしてきた現実を突きつけるイベントでもあります。私はその日、数年間一度も動かしたことがなかったベランダのすのこを、初めて持ち上げることになりました。ベランダには古いタイヤや予備の植木鉢が置かれ、その下に敷かれたすのこは、もはや床の一部のように馴染んでいました。しかし、作業を開始して最初の一枚を剥がした瞬間、私の意識は凍りつきました。そこには、想像を絶する厚さの泥のような埃が層を成しており、その層の中を複数の茶色い細長い虫が這い回っていたのです。それだけではありません。すのこを動かすたびに、カサカサという不気味な音が響き、奥から立派に育った成虫のゴキブリが数匹、慌てたように排水溝へと逃げていきました。私は今まで、このベランダを「屋外だから少しくらい汚れていても大丈夫」と軽く考えていました。しかし、現実は違いました。そこは、私たちが生活する室内からわずか数センチの距離にある、害虫たちの巨大なアパートメントだったのです。数年間放置されたすのこは、湿気を吸ってボロボロになり、裏側には無数のフンが固着していました。さらに、エアコンの室外機付近のすのこ下からは、ネズミがかじったような跡のある食べ物のカスさえも見つかりました。鳥が運んできたのか、あるいは近隣から紛れ込んだのかは分かりませんが、その場所は私たちが想像する以上に、外の世界と不衛生に繋がっていたのです。掃除は丸一日がかりの重労働となりました。大量のゴミを袋に詰め、デッキブラシで何度も床をこすり、染み付いたフェロモンを洗い流すために強力な洗剤を使い切りました。作業を終えて空になったベランダを眺めたとき、私は解放感とともに、強い自己嫌悪に陥りました。おしゃれな空間を作りたいという見栄の裏側で、私は不衛生を放置し、家族を危険にさらしていたのです。すのこをすべて処分した後のベランダは、以前に比べて簡素で殺風景になりましたが、風が通り、太陽の光が床の隅々まで届くその様子こそが、本来あるべき健全な姿なのだと確信しました。隙間は、埋めれば良いというものではありません。管理できない隙間は、望まない隣人を招き入れる入り口になります。この大掃除をきっかけに、私はベランダに何かを敷くことを一切やめました。コンクリートがむき出しの床は、汚ればすぐにわかり、すぐに洗うことができます。この「わかりやすさ」こそが、本当の清潔さを維持するための鍵なのです。今、私のベランダには何もありません。ただ、澄んだ空気と、不快な影一つない安心感だけがそこにあります。あの年末の衝撃を二度と忘れないように、私は今日もベランダを水で流し、清潔な状態を確認することを欠かしません。