厳しい寒さが身に染みる十二月の朝、私は庭の隅にある大きなモミの木の枝に、灰色をしたバレーボールほどの大きさの塊が吊り下がっているのを見つけました。それは、夏から秋にかけて家の周りを騒がせていたスズメバチの巣の残骸でした。蜂の時期を過ぎ、活動を終えた後の巣は、かつての威容が嘘のように静まり返り、冷たい北風にさらされてカサカサとした乾いた音を立てていました。蜂の時期という視点で見れば、冬は彼らの社会が完全に崩壊し、新しい命だけが土の中や木の隙間で眠りにつく、再生のための静寂の期間です。あの賑やかだった、あるいは恐ろしかった羽音の主たちは、今や一匹もこの巣の中にはおらず、冬の寒さとともに土に還っていったのです。私は安全を確かめた上で、長い棒を使ってその巣を取り除きましたが、手の中に残った巣の感触は驚くほど軽く、精巧に編み上げられたその構造には、生命の不思議さと執念を感じずにはいられませんでした。蜂たちはこの巣を作るために、一分一秒を惜しんで働き、次世代のためにすべてを捧げてきたのだと思うと、恐怖の対象であった彼らに対して、少しだけ敬意に近い感情が湧いてきました。蜂の時期を知るということは、単に危険を避けるための実用的な知識を得るだけでなく、自然界の厳格なリズムを理解することでもあります。春になれば、またどこかで眠りから覚めた女王蜂が、たった一匹でこの壮大なプロジェクトを再開するのでしょう。冬の間に、蜂がいなくなった後の庭を整理し、巣を作られそうな隙間を埋める作業をしながら、私は自然界のサイクルに自分の生活を重ね合わせて考えました。蜂の時期があるように、私たちの生活にも活発に動くべき時と、静かに備えるべき時がある。冬の静寂の中で蜂の巣を片付けるという行為は、私にとって一つの季節を締めくくり、来るべき新しい春に向けた準備の儀式のようなものになりました。蜂との遭遇は確かに恐ろしいものですが、その時期に応じた生き様を見せる彼らの姿は、この地球上で共に生きる生命体としての強さを教えてくれます。次に新しい羽音が聞こえてくる頃、私はまた一歩成長した警戒心と、少しばかりの親愛の情を持って彼らを迎え入れることができるでしょう。蜂の時期という短い、しかし凝縮された生命の季節を繰り返しながら、私の庭も、そして私自身の意識も、ゆっくりと変化し続けていくのだと感じる冬の一日でした。
蜂が去った冬の庭で考えた季節の移ろい